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アイスマンのミイラは何を着ていた?5,300年前の服と「呪い」を仕分けた

2026年10月29日木曜日

アイスマン ミイラ 検証 古代史 都市伝説

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アイスマン(エッツィ)のミイラとは? 氷河から出てきた5,300年前の男

アイスマンは、1991年9月19日にイタリアとオーストリアの国境近く、標高3,210mの氷河で見つかった男性のミイラです。愛称は「エッツィ」。5,300年以上前、銅器時代に生きた人で、服と道具を身につけたまま氷に閉じ込められていました。エジプトのピラミッドより古い人です。

見つけたのは、山歩きをしていたドイツ人の夫婦でした。溶けた氷から上半身だけが出ていて、最初は「遭難した登山者だろう」と思われていました※1。回収のときも考古学者はおらず、法医学の担当者が付き添い、遺体袋に入れてヘリで運んでいます。そばに落ちていた斧のスケッチを見た登山家のラインホルト・メスナーが「これはとても古い」と最初に気づいた、という経緯も博物館が書いています※1。

大学の考古学者が呼ばれたのは発見から5日後の9月24日。見立ては「少なくとも4,000年前」でした※1。のちの年代測定で、さらに古い5,300年以上前と分かります※2。

いまアイスマンは、イタリア・ボルツァーノの南チロル考古学博物館にいます。1998年から、氷河と同じ条件に保った冷たい部屋に寝かされ、小さな窓からのぞけるようになっています※2。「エッツィ」の名前は、見つかった場所のエッツタール・アルプスから、オーストリアの記者が付けたものです※2。体には61か所の入れ墨(タトゥー)もあり、黒い線の組み合わせが19のまとまりになっています。骨を調べると、入れ墨の多くは腰・膝・足首など、すり減りが見られる場所と重なっていました※3。

都市伝説の記事でこのミイラを取り上げる理由は、ひとつです。5,300年前の人が実際に何を着ていたか、現物が残っているからです。服はふつう腐って消えます。アイスマンは、氷というたまたまの冷凍庫のおかげで、それが残りました。

アイスマンのミイラは何を着ていた? 葉っぱの腰みのは出てこない

アイスマンが着ていたのは、ヒツジとヤギの毛皮を縫い合わせたコート、ヤギ革の脚絆(きゃはん)、ヒツジの皮のふんどし、子牛の革のベルト、そしてヒグマの毛皮の帽子です。縫い糸は動物の腱(すじ)と草の繊維と木の皮でした。羊毛の布や、織った布は見つかっていません。

私には子どものころから、原始人といえば「葉っぱを蔓で括りつけてたり、動物の毛皮を着てマンモスを追いかけてたような印象」がありました。どこで付いた印象かというと、「日本むかしばなしみたいな子供の頃に見たアニメ」です。アイスマンの服は、この印象の半分を崩します。

博物館の説明では、コートは膝近くまでの長さで、明るい色と暗い色の皮を細長く切って交互に縫い合わせたものでした※4。毛を外側にして着ていて、破れた縫い目は草の繊維で繕ってありました。博物館は「たぶん本人が直した」と書いています※4。脚絆は長さ約65cmで、左右が別々。ベルトに結びつけ、下の輪っかを靴に留める作りです※4。

靴は特に手が込んでいます。内側は木の皮で編んだ網で、そこに乾いた草を詰めて断熱材にしています。外側はシカの革。復元した靴で実際に長い距離を歩けた、という実験も紹介されています※4。

2016年、DNAで「どの動物の皮か」まで分かった

2016年、アイルランドとイタリアの研究チームが、服と矢筒の皮の切れ端9点からミトコンドリアのDNAを読み取りました※5。結果はこうです。

  • 帽子……野生のヒグマ
  • 矢筒……野生のノロジカ
  • コート……ヤギとヒツジ、少なくとも4頭分の毛皮の寄せ集め
  • 脚絆……ヤギの革

帽子と矢筒は狩りで得た野生の動物、コートや脚絆は飼っていた家畜。研究チームは、銅器時代の人が「服の役目に合わせて動物を選んでいた」という見方を裏付けたとしています※5。

「草のマント」は、いまはマットとみられている

ここは都市伝説好きとして正直に書いておきます。アイスマンには「草で編んだマントを着ていた」という話がよく付いて回ります。私もそう覚えていました。ところが博物館の説明では、高山の湿地の草で編んだマットで、当初はマントと考えられたものの、いまは「雨よけのマットか、背負い袋の一部だった可能性が高い」とされています※4。

つまり「葉っぱ」に近いものはあった。けれど、それは腰に巻く飾りではなく、編んで作った道具でした。「毛皮を着ていた」は当たり。ただし、ただ羽織るのではなく、切って縫って体に合わせた服でした。

アイスマンの呪いは本当? 言い伝えと分かっている事実を分ける

「アイスマンの呪い」は、発見や研究に関わった人のうち7人ほどが相次いで亡くなった、という海外で語られてきた言い伝えです。数え方や顔ぶれは語り手によって違います。関わった人は数百人規模で、偶然の範囲だとする見方が一般的です【推測・確信度中】。

まず、分かっている事実から並べます。アイスマン本人は、穏やかに亡くなったわけではありません。2001年のX線とCTの検査で、左肩に矢じりが刺さったままだと分かりました※3。コートにも、それに合う小さな破れ目があります。博物館も「峠を越えようとしていて殺された」と書いています※2。「アイスマン なぜ殺された」と検索されるのは、このためです。誰に、なぜ射られたのかは、分かっていません。

ここに「殺された古代人のミイラを掘り出した」という筋書きが重なって、呪いの言い伝えが育ちました。語られる人の多くは、発見者、回収に立ち会った人、研究者、撮影した記者など、近年に亡くなった方々です。このブログでは名前を挙げません。ご家族がいまもご存命の方々で、亡くなった理由は事故や病気などそれぞれ別のものだからです。

そのうえで、言い伝えを仕分けるとこうなります。

  • 事実……アイスマンは矢を受けて亡くなった。発見と研究には、登山者・警察・医師・考古学者・報道など大勢が関わり、いまも研究が続いている
  • 言い伝え……関わった人の死を「ミイラの呪い」としてひとまとめにする語り方
  • 【推測・確信度中】……高い山での作業や回収に関わる人は事故の危険がもともと高い。関わった人の総数から見れば「偶然の範囲」とする見方が多い。ただし、それを統計できちんと確かめた研究は、私は見つけられませんでした

エジプトのツタンカーメンにも同じ形の言い伝えがあります。「古い墓やミイラに触れると祟られる」という型は、昔から人の心に引っかかる物語なのだと思います。呪いがあるかどうかより、なぜ私たちはその物語を語り継ぎたくなるのかのほうが、都市伝説としては面白いところです。

人類はいつから服を着た? 答えはシラミの遺伝子にあった

人類が服を着始めたのは、少なくとも約8万3千年前、早ければ約17万年前とされます。手がかりはシラミです。頭に住むシラミから「服に住むシラミ」が分かれた時期を遺伝子で計算すると、その頃になります。服が無ければ、服に住むシラミは生まれないからです。

この研究は2011年に出た論文で、人の祖先が体毛を失ったのは約120万年前という推定も引いています※6。つまり、毛を失ってから服を着るまで、100万年近く「裸の時代」があったことになります。

この話を知ったときの私の感想は、「シラミの遺伝子でわかるとかすげぇ」でした。服そのものは腐って残らないのに、服に住んでいた虫の遺伝子が年代を教えてくれる。都市伝説より不思議な話です。

ただし、シラミで服の年代を測れるかどうかには、疑問を出す研究もあります。数字は「そう推定されている」と受け取ってください。

シラミ以外の手がかり

  • 約12万〜9万年前……モロッコの洞窟で、皮をなめす骨の道具が60点以上。毛皮を取った跡のある肉食獣の骨も※7。研究者自身は「服の強い手がかり」と書き、直接の証拠とはしていません
  • 約5万年前……シベリアのデニソワ洞窟で、穴の開いた骨の針(長さ約7cm)※8
  • 約3万6千〜3万1千年前……ジョージアの洞窟で、野生の亜麻(麻の仲間)の繊維。より合わせたものや、黒・青緑・ピンクに染めたものまで※9
  • 紀元前3482〜3102年……エジプト・タルカンの麻のドレス。「織った布を裁って縫った服」として、見つかっている中で最古※10

アイスマンのコート(約5,300年前)と、エジプトの麻のドレスは、ほぼ同じ時代です。アルプスの寒い山では毛皮を縫い、ナイル川のほとりでは麻を織っていた。原始人のイメージが1つではないのは、土地ごとに材料も寒さも違ったからです。日本の縄文と弥生で何を着ていたかは、別の記事で年表にまとめる予定です。

人類の発明ランキングに「糸」が入らないのはなぜ?

人類の発明ランキングでは、火・車輪・文字・印刷がよく上位に並びます。糸はあまり出てきません。けれど糸が無ければ、縄も網も服も、船の帆も作れません。目立たないのは、糸がどれも「ほかの発明の材料」として働いてきたからだと私は考えています【推測】。

私が「糸の発明は偉大だった」と知ったのは、武内一忠さんの『もう隠せない真実の歴史 : 世界史から消された謎の日本史』(ヒカルランド、2023年)を読んでのことです。糸を紐にして縄を作る、服を作る。帆船の帆にして航海ができるようになる。そこから「人類はいつから服を着るようになったのか」が気になって、この記事の調べものが始まりました。

実際に、糸から広がったものを並べると、こうなります。

  • 縄・紐……石器を柄に縛る、荷物をまとめる
  • 網……魚を一度にたくさん獲る。フィンランドからロシアにまたがる地域では、紀元前8000年代とされる柳の皮の網が見つかっています※11
  • 服……寒い土地へ住む場所を広げる
  • 帆……風の力で海を渡る

火は「その場」を変えた発明で、糸は「行ける場所」を変えた発明だった、と言えるかもしれません【推測】。アイスマンが標高3,000mを超える峠を越えられたのも、腱で縫った服と、草を詰めた靴があったからです。

大麻の歴史はどこまでさかのぼる? 縄文の縄といまの「麻」

アサ(大麻)は、世界最古の繊維作物とも言われる植物です。日本でも縄文時代の遺跡から、アサの縄や実が見つかっています。ただし、いま服の表示で「麻」と書けるのは、亜麻と苧麻の2つだけです。

よく知られるのは福井県の鳥浜貝塚で、縄文時代のはじめごろの層から出た縄がアサと調べられています【推測・確信度中:国立歴史民俗博物館の研究報告で確かめた内容ですが、この記事を書いた日は報告のサイトが開けず、読み直せていません】。縄文土器の名前の由来になった縄目も、こうした植物の繊維をより合わせた縄で付けられました【推測:考古学の通説】。

ここで混乱しやすいのが言葉です。昔の日本で「麻」と言えば、ほぼアサ(大麻)のことでした。ところが「麻」は本当は1つの植物ではなく、茎や葉から長い繊維がとれる植物をまとめた呼び名です。

  • 大麻(アサ)……アサ科。縄文の縄、神社のしめ縄
  • 亜麻(リネン)……アマ科。エジプトの麻のドレス、ジョージアの繊維
  • 苧麻(ラミー、からむし)……イラクサ科
  • ジュート、マニラ麻……それぞれアオイ科、バショウ科(バナナの仲間)

科から別々の植物を、繊維のとれ方が似ているから同じ「麻」で呼んでいるわけです【推測:植物分類の一般知識】。そして、いまの衣料品の表示で「麻」と書けるのは「亜麻及び苧麻に限る」と決まっています※12。お店で見かける麻のシャツは、大麻ではありません。

大麻草を育てることは、いまの日本では「大麻草の栽培の規制に関する法律」で、免許を受けた人などに限られています※13。縄文人にとっては身近な暮らしの草だったものが、いまは法律で管理される草になった。大麻の歴史をたどると、同じ植物の扱われ方が時代でここまで変わることに驚きます。

機織りの「ハタ」は秦氏? マオリは「麻織」? 言葉の偶然を仕分ける

機(はた)と秦氏、マオリと「麻織(まおり)」。どちらも都市伝説でよく語られる語呂合わせとして知られています。秦氏が養蚕と機織りを伝えたとされるのは辞典にも載る話です。一方、マオリ語の「māori」の意味は「普通の・その土地の」で、日本語の「麻織」とは別です。

秦氏とハタ

秦氏は朝鮮半島から渡ってきた氏族で、養蚕と機織りを伝えたとされています※14。『日本書紀』には、雄略天皇のとき秦酒公(はたのさけのきみ)が絹を朝廷に「うず高く積んだ」ので「禹豆麻佐(うずまさ)」の姓をもらった、という話があり、京都の地名「太秦(うずまさ)」につながっています※15。また『新撰姓氏録』には、秦氏が養蚕と絹織りを伝えたので「波多(はた)」の姓を授けた、という記事があります※14。

ただ、「秦」を「はた」と読む理由が機(はた)から来たのかどうかは、ほかに朝鮮半島の地名から来たという説などもあり、決まっていません【推測:複数の説があるのは通説。原典未読】。「機織りの一族だからハタ」は、昔の書物にもそう書かれた有力な説のひとつ、というのが正確なところです。

マオリと「麻織」

ニュージーランドの先住民マオリの人々は、織物の名人として知られています。そこから「マオリ=麻を織る人=麻織」という語呂合わせが語られます。

マオリ語の辞典を引くと、「māori」の意味は「普通の・いつもの・自然な」「その土地の・先住の」です※16。また、マオリの人々が織ってきたのは「ハラケケ」という植物で、英語では New Zealand flax(ニュージーランドの亜麻)と呼ばれますが、本物の亜麻とは別の植物です※17。

だから「マオリ=麻織」は、日本語の音がたまたま重なった偶然だと考えるのが自然です。それでも、遠く離れた「織物の民」の名前が日本語で「麻織」と読めるのは、やっぱり面白い。偶然を偶然と分かったうえで楽しむのが、都市伝説のいちばんおいしい食べ方だと思います。

文明を与えたのは宇宙人? 私の説

ここからは事実ではなく、私の考えです。私は「文明を与えたのは宇宙人で、彼らを神だと思ったのではないか」と考えています。糸や機織りのように、誰が発明したのか分からない技術が、各地でほぼ同じ時代に広がっているからです。もちろん証拠はありません。

実際、機(はた)を最初に作った人は分かっていません。世界の神話を見ると、機織りはよく神さまの仕事として出てきます。日本でも、天照大御神が機屋(はたや)で神の衣を織らせていたという話が『古事記』にあります【推測:神話の内容は通説として紹介。原典の該当箇所は未読】。

もし、空から来た誰かが糸や布の作り方を教えたのだとしたら。その人たちを見た古代の人は、きっと「神さま」と呼んだはずです。そう考えると、機織りが神話に何度も出てくることにも筋が通る、と私は思うのです。

ただし、ここまでに見てきた事実が示す筋書きは、少し違います。シラミの遺伝子は8万年以上前、針は5万年前、紐や繊維は3万年以上前。服と糸の技術は、何万年もかけて少しずつ積み上がってきたように見えます。宇宙人説は、私が一番ワクワクする説として、ここに置いておきます。古代の壁画がなぜ宇宙人に見えるのかは宇宙人の壁画を証拠の強さで仕分けた記事、日本の古代と宇宙人の話は「日本にも古代宇宙人がいた」って本当?の記事にまとめています。

まとめ:アイスマンのミイラが崩した「原始人」の思い込み

アイスマンのミイラは、5,300年前の人が、ヒツジやヤギの毛皮を縫い合わせたコートを着て、ヒグマの帽子をかぶり、草を詰めた靴で峠を越えていたことを見せてくれました。「葉っぱを蔓で括る原始人」のイメージより、ずっと手の込んだ服です。

  • アイスマン(エッツィ)は1991年に見つかった、5,300年以上前のミイラ※1※2
  • 服は毛皮と革を腱で縫ったもの。織った布は無かった※4
  • 「草のマント」は、いまは雨よけのマットか背負い袋の一部とみられている※4
  • 呪いは、関わった人の死を結びつけた言い伝え。偶然の範囲とする見方が多い【推測・確信度中】
  • 人類が服を着始めたのは、シラミの遺伝子から少なくとも約8万3千年前とされる※6
  • 秦氏とハタは昔の書物にもある説、マオリと麻織は音の偶然※14※16
  • 宇宙人説は、私の説として紹介

縄文時代の人々がアサの縄を使い、やがて弥生時代に機織りが広まる日本の流れは、また別の記事で追いかけます。超古代の日本の話が好きな方は、スンダランドと縄文の記事もどうぞ。

出典

Amazonのアソシエイトとして、都市伝説うじとうえだは適格販売により収入を得ています。

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