ムー大陸はなぜ沈んだのか。この問いの答えを先に書くと、沈んでいません。浮かんでいたことがないからです。ムーは1926年に出た1冊の本の中で生まれた大陸でした※1。
ところが、話はそこで終わりません。同じ時代に、同じ海域で、本当に沈んだ陸地があります。スンダランドといいます。こちらは地質学の用語で、いつどれだけ沈んだかが数字で分かっています※2。
この2つが混ざったところに生まれたのが、「スンダランドから日本へ渡った人々が縄文文明を築き、そこから世界の四大文明が生まれた」という超古代文明の説です。おもしろい話だと思います。ただ、おもしろさと確かさは別ものなので、ここでは一つずつ札を分けて並べていきます。
ムー大陸はなぜ沈んだ?——沈む前に、そもそも浮かんでいませんでした
ムー大陸を世に出したのはジェームズ・チャーチワード(1851〜1936)という人物です。1926年に『The Lost Continent of Mu, Motherland of Man』、1931年に『The Lost Continent of Mu』を出し、太平洋にあった巨大な大陸と、ラ・ムーという皇帝が治めた高度な文明を描きました※1。
根拠として示されたのが「ナアカル碑文」でした。1868年にインドの寺院で僧侶に見せられた粘土板で、自分はその文字を解読した、という筋書きです※1。
問題は、この粘土板をチャーチワード以外の誰も見ていないことでした※1。彼が名乗っていたイギリス軍の経歴も、記録が残っていません※1。つまりムー大陸には、照合できる相手がいちども現れていないわけです。
ではなぜ「沈んだ理由」を探す人が絶えないのか。大津波、火山噴火、小惑星の衝突、プレートの動き。理由の候補だけは今も増え続けています。答えは単純で、沈んだことになっている大陸には、沈み方の説明が必要になるからでしょう。存在の証明より先に、滅び方の説明が積み上がる。これは失われた大陸の話に共通する形です。
本当に沈んだ大陸なら実在します。スンダランドという名前です
ムーは創作でしたが、東南アジアには本当に沈んだ陸地があります。スンダ陸棚(スンダランド)です。いまのマレー半島・スマトラ島・ジャワ島・ボルネオ島が、かつて陸続きだった浅い海底の広がりを指します。
数字も出ています。2006年に学術誌『Tropical Natural History』へ掲載された研究によると、この海域の海面は2万1000年前には現在より116メートル低く、そこから上昇を続けて、4200年前には現在より5メートル高いところまで達しました※2。差し引き121メートルです。
だからスンダランドの水没は、伝説ではなく測れる出来事でした。ここが最初の分かれ目になります。ムー大陸を否定することと、沈んだ陸地そのものを否定することは、別の話なのです。
超古代文明の証拠は、3つの札に分けて読むと見え方が変わります
ここから先は、元の説に出てくる主張を1つずつ確かめていきます。使う札は3つです。
- 【確かめられた】……一次資料や査読を通った論文で数字まで追えるもの
- 【説にとどまる】……主張として発表されたが、その後の検証で支持されていないもの
- 【裏づけが見つからない】……こちらで探した範囲では、出どころにたどり着けなかったもの
先に断っておくと、この記事は「日本すごい」を取り下げさせるためのものではありません。縄文にはちゃんとすごいところがあり、それは札を分けたあとのほうがはっきり見えてきます。
縄文土器は世界最古?——世界最古級ですが、いまの最古は中国です
青森県外ヶ浜町の大平山元遺跡から出た土器は、土器片に付いていた炭化物を測って今から約1万5千年以上前と判定されています※3。ユネスコ世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の公式ページでは「紀元前13,000年頃」という書き方です※4。
ここで1つ、数字の扱いを整理しておきます。ネット上でよく見る「1万6500年前」という数字は、較正年代の幅の上のほうを取ったものです。外ヶ浜町の公式ページの表記は「約1万5千年以上前」でした※3。桁が違うわけではありませんが、公式が言い切っている数字と、幅の端を取った数字は分けて覚えたほうが安全だと思います。
そのうえで「世界最古か」です。いまのところ最古は中国です。江西省の仙人洞(せんにんどう)遺跡から出た土器片が1万9000〜2万年前と測定され、2012年6月にハーバード大学のオファー・バー・ヨセフらが学術誌『Science』へ発表しました※5。農耕が始まるより1万年も前の土器でした※5。
札:【確かめられた】(大平山元の土器は実在し、年代も公式に出ている)+【数字は要注意】(「世界最古」は現時点では成り立たない。「世界最古級」なら成り立つ)
磨製石器が3万年前?——年代は近いのですが、「世界最古」は2017年に更新されました
刃の部分だけを磨いた石斧を局部磨製石斧と呼びます。山梨県立考古博物館の解説では、これらはおよそ3〜4万年前の、県内最古級の石器として紹介されています※6。磨いて仕上げる技術は新石器時代のものという教科書的な理解からすると、たしかに早い。
ただし「世界最古」の看板は、2017年に外れました。オーストラリア北部のマジェドベベ遺跡で、少なくとも6万5000年前の層が確認され、そこに「世界最古の刃を磨いた石斧の技術」が含まれていたからです。クイーンズランド大学のクリス・クラークソン准教授らが『Nature』に発表しました※7。
札:【確かめられた】(日本の局部磨製石斧が3〜4万年前にさかのぼるのは本当)+【更新済み】(世界最古はオーストラリア)
縄文は1万年つづいた平和な社会?——暴力による死亡率1.81%という数字があります
この項目は、数字がいちばんきれいに出ています。中尾央(なかお ひさし)らの研究チームが2016年に学術誌『Biology Letters』へ発表した論文が、縄文時代の人骨に残る暴力の痕跡を集計しました。縄文時代全体を通した暴力による死亡率は1.81%です※8。
この数字の重みは、比較すると分かります。それ以前の研究では、狩猟採集社会の暴力死亡率は12〜14%と見積もられていました※8。桁がひとつ違う。しかも痕跡の出方は、時期にも場所にもかたよっていました※8。
正直に書いておくと、この1.81%という数値は2016年の訂正で確定したものです。最初の発表では1つの遺跡が二重に数えられており、著者たちが自分で訂正を出しました※8。結論は変わっていません。自分の論文の数え間違いを自分で公表して直す、という手続きが踏まれている——ここは、確かさを見るときの手がかりになります。
ただ「平和」という言葉は少しだけ抑えて使いたい。この論文が示したのは骨に残る殺傷の痕跡が少ないことであって、争いがゼロだったという証明ではありません。それでも1.81%は、じゅうぶん驚いていい数字だと思います。
札:【確かめられた】
アカホヤ大噴火は本当にあった?——7300年前、完新世で世界最大の噴火でした
鹿児島県沖の鬼界(きかい)カルデラで7300年前に起きた噴火は、実在します。それどころか、規模の見積もりは近年になって上振れしました。
神戸大学の研究グループが2024年2月に学術誌『Journal of Volcanology and Geothermal Research』へ発表した調査によると、海底に残された堆積物だけで71立方キロメートル以上、広域の火山灰まで含めると332〜457立方キロメートル以上という量になります※9。火砕流は海の上を40キロ走って南九州に到達し、堆積の広がりは4500平方キロメートル以上でした※9。完新世(約1万1700年前から現在)に起きた噴火としては、陸上・海底を通じて世界最大です※9。
南九州の縄文文化がこの噴火で断絶したことも、考古学の側で広く受け入れられています。ここまでは、元の記事が書いていたとおりでした。
札:【確かめられた】
縄文人は大陸へ渡った?——対馬海峡を越えた行き来は確かめられています
韓国・釜山の東三洞(トンサムドン)貝塚は、朝鮮半島南部を代表する新石器時代の貝塚です。ここでは1970年の調査で、日本の縄文土器の出土が報告されています※10。
つまり、海を渡った行き来そのものは実際にありました。九州と朝鮮半島南部のあいだで、ものと人が動いていた。これは確かです。
問題は、そこから先の飛び方でしょう。「交流があった」と「大陸の人々に文明を授けた」のあいだには、埋めなければならない距離があります。土器が海を渡ったことは、技術を教えた側と教わった側を決めません。行き来している以上、ものは両方向に動きます。
ここは、元の記事でいちばん書き方を変えたところです。学説の対立を、国や民族の性格の話にしてしまうと、確かめようがなくなります。「どの研究者が、何を根拠に、どう主張したか」で書けば、あとから誰でも検算できる。この記事はその形を取ります。
札:【確かめられた】(交流の事実)/【説にとどまる】(文明を授けたという方向づけ)
南米バルディビアの土器は縄文土器と一致する?——1960年代の説で、いまは支持されていません
この話には、はっきりした出どころがあります。エクアドルの実業家で在野の考古学者だったエミリオ・エストラーダと、スミソニアン協会の考古学者ベティ・メガーズ・クリフォード・エヴァンズが、1960年代に発表した仮説です※11。バルディビア土器の技法と装飾のモチーフが縄文土器とよく似ている、という観察から、紀元前3千年紀の初めに太平洋を越えた接触があったと主張しました※11。
その後どうなったか。オハイオ歴史協会の考古学者ブラッド・レッパーは、当時の考古学的な証拠は、これほど並外れた主張を支える強さを持っていなかったと書いています※11。決め手になったのは、エクアドル国内でバルディビアより古い土器の層が見つかったことでした。地元で土器が生まれた道すじが説明できるなら、太平洋を越えてくる必要がなくなります。
ここで念のため付け加えると、この説は「デタラメ」として捨てられたのではありません。まっとうな手続きで発表され、まっとうな手続きで検証され、支持されなかった。学説の一生としては、ごく普通の形です。似た構図はナスカの地上絵はなぜ消えない?3つの理由と消えかけた現実でも扱いました。
札:【説にとどまる】(発表はされたが、後の検証で支持されなかった)
シュメール人の正体は縄文人?——菊の紋章の話は、年代が合いません
都市伝説の側でくり返し語られるのが、「シュメールの最高神アヌの紋章が、日本の皇室の十六弁菊花紋とそっくりだ」という話です。ここは、こちらで確かめられた範囲を正直に書きます。
まず、アヌの紋章が十六弁菊花紋だと述べた一次資料に、こちらではたどり着けませんでした。検索で出てくるのは、同じ主張をくり返す個人サイトばかりです。学術機関のデータベースにあたろうとしましたが、参照したかったページ(ペンシルベニア大学博物館の Oracc プロジェクト)は接続できませんでした。したがってこの点は【未確認】のまま置きます。推測で埋めません。
いっぽうで、日本側の年代ははっきり分かります。国立国会図書館のレファレンス協同データベースにある回答によると、菊の紋を愛用しはじめたのは鎌倉時代の後鳥羽上皇で、その後を後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が継いだことで皇室の紋として定着しました※12。図形として細かく定められたのは、明治22年の天皇旗章と大正15年の皇室儀制令です※12。
つまり日本の菊花紋は13世紀前後に始まった意匠でした。シュメールの都市国家が栄えたのは紀元前3千年紀ですから、あいだはおよそ3500年から4000年あります。縄文人がシュメールへ持っていった紋章が日本に帰ってきた、という筋書きは、この時間差を越えられません。
なお、十六の花びらを持つロゼット(花形の装飾)が古代オリエントに広く見られること自体は事実です。ただし似ている図形は、系統がつながっている証拠になりません。円と放射状の線は、離れた土地で何度でも独立に生まれます。
札:【裏づけが見つからない】(アヌの紋章の出どころ)/【確かめられた】(日本の菊花紋は13世紀前後から)
YAP遺伝子は日本人の40%?——実際に測られた数字は32.1%でした
超古代文明論の最後の切り札として出てくるのが、YAP遺伝子です。ここも数字から入ります。
YAPというのは、Y染色体のある位置に大昔に1度だけ入り込んだ配列のことで、これを持つ系統をハプログループDEと呼びます。そこから枝分かれしたのがD系統とE系統です。
現代日本人男性でのD系統の割合は、佐藤陽一らが2014年に学術誌『Anthropological Science』へ発表した調査で32.1%と測られています※13。よく見る「約40%」という数字については、こちらでは出どころを確かめられませんでした。ですから、ここでは32.1%のほうを採ります。
そして、いちばん大事なのがここです。D系統とE系統は「兄弟の系統」です※14。2013年に学術誌『Investigative Genetics』へ載った王傳超・李輝の論文は、両者を "brother haplogroups" と表現し、E系統は西へアフリカ方面へ、D系統は東へ東アジア方面へ運ばれたと述べています※14。
ここから何が言えるか。YAPを共有していることは、共通の祖先がいたことを意味します。ただしその祖先は、縄文時代よりはるか昔の人です。D系統とE系統は、日本列島に人が住みつくよりずっと前のアフリカで分かれました※14。だから「遠く離れた集団が同じYAPを持っている」という事実は、縄文人が世界へ広がった証拠にはなりません。枝分かれの順番が逆なのです。
札:【裏づけが見つからない】(40%という数字)/【確かめられた/ただし意味が逆】(YAPの共有そのもの)
そもそも縄文人はスンダランドから来たのか
元の説の土台にあるのが、この一文でした。ここも近年のゲノム研究がだいぶ書き換えています。
2021年に学術誌『Science Advances』へ発表された研究が、日本列島の12体の古人骨のゲノムを解読しました。それによると、縄文の集団は大陸の集団と2万年前から1万5000年前のあいだに分かれ、その後は有効集団サイズおよそ1000人という小さな規模のまま数千年を過ごしています※15。海面上昇で日本列島が大陸から切り離されていった時期と重なります※15。
この研究はさらに、現代日本人の成り立ちを縄文・稲作をもたらした北東アジア系・古墳時代に入った東アジア系の三者で説明する枠組みを示しました※15。長く使われてきた二重構造モデルを更新するものです。
ここから2つのことが読み取れます。ひとつは、縄文の集団は南から来た単一の移住者ではなく、大陸からの分岐がかなり古いこと。もうひとつは、有効集団サイズ1000人ほどの集団が、大船団を組んで四大文明の地へ出かけていく余力はなかっただろうということです。後者は【推測】ですが、数字を見たうえでの推測です。
札:【説にとどまる】(スンダランド起源説)
この時期の日本列島の人々がどんな道具と文化を持っていたのかは、山田康弘『縄文時代の歴史』(講談社現代新書・2019年)が一冊で扱っています。この記事で触れた土器の年代、暴力の痕跡、集団の規模といった話が、考古学の側からどう見えているかを追える本です。
この記事で扱わなかった話が1つあります
元の記事には、日本と特定の民族を結びつける系統の説が出てきました。この書き直しでは外しています。理由を2つ書いておきます。
1つめは、方法の問題です。この記事は「一次資料まで下りていけるか」を物差しにしています。その物差しを当てると、この系統の説は札を貼る手前で止まります。照合する相手がないからです。
2つめは、編集の方針です。陰謀論の一覧を証拠の強さ順に|本当だった5つと否定された3つでも書いたとおり、実在する民族・個人・団体を結びつける形の話は、真偽を検討する対象というより、被害が先に出るものです。だからこのブログでは扱いません。
超古代文明の記事は、このブログのどこにつながっているか
この記事を、「古代文明」まわりの柱にすることにしました。個別のテーマは、それぞれの記事のほうが詳しく扱っています。
- 日本列島の遺跡と超古代文明……日本にも古代宇宙人がいた
- 古代の絵に描かれた「宇宙人らしきもの」……都市伝説!宇宙人は本当に地球に来ている?古代壁画に隠された謎
- 古代の技術が現代より進んでいたという話(オーパーツ)……アンティキティラ島の機械が示す驚くべき真実
- 作り方が分からない巨大遺構……ナスカの地上絵はなぜ消えない?3つの理由と消えかけた現実
- 失われた土地・浮かぶ島の物語がどう生まれるか……ラピュタの元ネタ
- 証拠の強さで仕分ける、という方法そのもの……エリア51とは?CIAが認めた事実と、証言だけの話を分けて整理した
仕分けたあとに残るもの
札を全部貼り終えて、手元に残ったものを並べてみます。
スンダランドは沈みました。海面は121メートル上がりました※2。大平山元の土器は1万5千年以上前のものでした※3。局部磨製石斧は3〜4万年前にさかのぼります※6。暴力による死亡率は1.81%でした※8。鬼界カルデラの噴火は完新世で世界最大でした※9。縄文土器は海を渡って朝鮮半島南部に届いていました※10。
——これだけ残るのです。世界の四大文明が日本から生まれたという骨組みは外れましたが、外れたあとに立っているものが、けっこうある。
個人的には、そのほうが好きでした。「世界の源流だった」は誰かの手柄を借りてくる話ですが、「1万年のあいだ暴力による死亡率が1.81%だった」は、この土地で暮らしていた人たちが自分で作った数字だからです。
ちなみに「四大文明」という言い方自体、世界共通ではありません。帝京大学の今村啓爾による研究では、この概念のはじまりが1899年の梁啓超の文章までさかのぼるとされています※16。日本と中国で定着した数え方であって、海外の教科書には出てきません。四大文明より古い文明を探す、という問いの立て方そのものが、かなり日本的だったわけです。
最後にもう1冊だけ。魅力的だけれど確かめられていない古代史の説に、どう向き合えばいいのか。望月昭秀編『土偶を読むを読む』(文学通信・2023年)は、話題になった1冊の考古学本を、複数の専門家が実物の資料に当たりながら1つずつ検算していく本です。この記事でやった「札を分ける」という作業を、まるごと1冊でやっているものだと考えてください。
出典
- ※1 Churchward, James (1852-1936)(Encyclopedia of Occultism and Parapsychology/Gale, Encyclopedia.com 収録)
- ※2 Maps of Holocene Sea Level Transgression and Submerged Lakes on the Sunda Shelf(2006年)(学術誌 Tropical Natural History/Sathiamurthy & Voris)
- ※3 世界文化遺産 史跡 大平山元遺跡とは(青森県外ヶ浜町)
- ※4 大平山元遺跡(世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」公式サイト)
- ※5 Ofer Bar-Yosef finds evidence of 20,000-year-old pottery in China(2012年6月)(Harvard Magazine/原論文は学術誌 Science)
- ※6 常設展・旧石器時代(山梨県立考古博物館)
- ※7 Kakadu find confirms earliest Australian occupation(2017年7月)(クイーンズランド大学/原論文は学術誌 Nature、Clarkson ほか)
- ※8 Correction to: 'Violence in the prehistoric period of Japan: the spatio-temporal pattern of skeletal evidence for violence in the Jomon period'(学術誌 Biology Letters/Nakao ほか 2016年、米国国立医学図書館 PMC 収録)
- ※9 海底を覆う大量の鬼界カルデラ巨大噴火の噴出物を発見(2024年2月)(神戸大学/原論文は学術誌 Journal of Volcanology and Geothermal Research)
- ※10 東三洞貝塚(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/コトバンク 収録)
- ※11 Did Japanese fishermen discover America 5,000 years ago?(オハイオ歴史協会/ブラッド・レッパー)
- ※12 菊が皇室の紋章となった理由を知りたい。(レファレンス協同データベース/国立国会図書館)
- ※13 Overview of genetic variation in the Y chromosome of modern Japanese males(2014年)(学術誌 Anthropological Science/Sato ほか、J-STAGE 収録)
- ※14 Inferring human history in East Asia from Y chromosomes(2013年)(学術誌 Investigative Genetics/Wang & Li、米国国立医学図書館 PMC 収録)
- ※15 Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations(2021年)(学術誌 Science Advances/Cooke ほか、米国国立医学図書館 PMC 収録)
- ※16 「世界四大文明」概念のはじまり(今村啓爾/帝京大学 学術リポジトリ)
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